東京2020は国民のスポーツ・運動実践に影響を与えず「レガシー実現には戦略的な取組が必要」
東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の開催が決定した2013年の前後7年間(2006~2020年)のスポーツ実施率・身体活動に関する複数の全国調査データを分析したところ、開催決定をきっかけとした国民のスポーツ実施率や身体活動量の変化は確認されなかったとする研究結果が報告された。東京大学の研究グループの研究によるもので、「International Journal of Behavioral Nutrition and Physical Activity」に論文が掲載されるとともに、同大学のサイトにプレスリリースが掲載された。
東京2020大会の「アクション&レガシーレポート」では、達成されたレガシーとしてスポーツ実施率が向上したと報告されているが、この根拠となる調査では、スポーツ実施率の算出方法が途中で変更されており、経年変化の分析に利用することは適切でない。研究グループでは、今回の研究で、他の複数の調査で一貫して変化が確認できなかったことから、「少なくとも2020年時点では、国民のスポーツ実践に関わるレガシーはまだ達成されていなかったと評価できる」としている。そのうえで、「スポーツ実践・身体活動の普及には、普及戦略に関する科学的知見に基づき、関係機関が一体となって多面的・計画的に国民の行動変容に向けた施策に取り組む必要があると考えられる」とまとめている。
発表概要
オリンピックなどの大規模スポーツイベントの開催においては、そのレガシー※1として、開催国・都市の人々のスポーツ実践や身体活動※2を促進する機会となることが期待されている。
研究グループでは、東京2020大会の開催が決定した2013年の前後7年間(2006~2020年)の複数の全国調査の公開データを用いて、国民全体および東京都民の身体活動・スポーツ実践がどのように変化したかを検証した。その結果、どの調査データにおいても、オリンピック開催決定前後で身体活動量やスポーツ実施率に変化はみられなかった。この研究は、オリンピック開催国において、開催決定をきっかけに身体活動・スポーツ実施率が大会前の期間に変化するか(大会前効果:pre-Games effect)を検証した初めての研究という。
なお、本研究は、早稲田大学、東京医科大学、シドニー大学との共同研究による成果で、科研費「身体活動の格差を生み出すメカニズムの解明と新たな普及戦略の構築」の支援により実施された。
発表内容
身体活動の不足(運動不足)が世界的に広がるなか、オリンピック開催のレガシーとしても、身体活動・スポーツ実践の普及が注目されるようになった。しかし、過去のオリンピックの開催は、大会後の国民や開催都市住民のスポーツ実施率・身体活動量の向上にほとんど影響していなかったことが報告されている。オリンピックと開催国の身体活動をテーマにしたこれまでの研究では、大会前後における身体活動の変化を検証しているが、大会前に生じたスポーツに対する関心の高まりは、大会が終わると消失してしまう可能性が考えられる。したがって、スポーツ実施率などの行動の変化も、実際には生じていても大会開催「前」の期間に限られていた可能性がある。
本研究では、東京でのオリンピック・パラリンピックの開催が決定した2013年の前後7年間、すなわち2006~2020年までの身体活動に関する全国および東京都の調査データを用いて、開催が決定して以降、国民・都民の身体活動量やスポーツの実施率がどのように変化したかを分析した。用いたデータは、厚生労働省「国民健康・栄養調査」の歩数・運動習慣、笹川スポーツ財団「スポーツライフに関する調査」のスポーツ実施率、東京都「都民のスポーツ活動に関する世論調査」のスポーツ実施率。
その結果、国民の歩数、運動習慣、スポーツ実施率はいずれも開催決定(2013年)前後で変化がみられず、開催決定の影響は確認できなかった。開催都市である東京都においては、2009年以降にスポーツ実施率の増加がみられているものの、2014年以降は変化がみられず、開催決定に起因するものではなく、他の要因が影響している可能性が考えられる。
図 オリンピック開催決定前後における国民および東京都民の身体活動・スポーツ実施率
東京2020大会の組織委員会が作成した「アクション&レガシーレポート」では、東京大会のレガシーとして国民のスポーツ実施率が2016年の42.5%から2020年に59.9%へと向上したことが挙げられている。しかし、このスポーツ実施率の評価に用いられた調査では、スポーツ種目に「階段昇降」が2017年から追加されるなど算出方法が変更されており、経年変化の分析に利用することは適切でないと考えられる。また、本研究の分析データには含まれていないが、東京都の直近の調査でも、スポーツ実施率の増加(2020年に60.4%が2021年には68.9%)が報告されている。しかし、この調査は回収率が大きく下がり(56.8%から42.9%)、調査の名称も「都民生活に関する世論調査」(他のテーマと合同の調査)から「都民のスポーツ活動に関する実態調査」に変わっており、スポーツに関心のある人ほど回答する傾向にあったことが影響している可能性があり、注意して解釈する必要がある。
したがって、本研究では、調査方法に変更がないか、あるいは結果への影響が小さいと考えられる調査データのみを用いて分析したが、身体活動量やスポーツ実施率の向上は確認できなかった。複数の調査で一貫して変化が確認できなかったことから、少なくとも2020年までは、国民のスポーツ実践に関わるレガシーはまだ達成されていなかったと評価できる。
東京2020大会の「アクション&レガシープラン」には、国民の身体活動やスポーツ実施を促進するためのさまざまな取り組みが記載されている。しかし、関係機関の既存事業やイベント・プログラムの列記にとどまっており、科学的知見に基づき、どのように国民全体の「行動」を変えていくのか、その具体的な普及戦略やロジックは示されていない。東京2020大会の開会式や閉会式においては、日本や世界の人々に「からだを動かそう」というメッセージが明確に発信されることもなかった。スポーツを「みる」こととスポーツを「する」ことは、もともと異なる行動であるため、オリンピックを契機としたスポーツ実施率の向上というレガシーの実現には、この二つを結びつける具体的な仕掛けや工夫も必要となる。
今後、オリンピック開催国で身体活動の向上やスポーツの普及といった「行動」の変容につながるレガシーを実現するためには、大会前から大会期間中、そして大会後に至るまで、大会組織委員会、国際オリンピック委員会(IOC)、開催国のオリンピック委員会(JOC等)、国・地域の行政機関、そしてスポンサー企業などが一体となって、より戦略的に取り組む必要があると考えられる。日本においても、東京大会開催で高まったスポーツへの関心を一時的なもので終わらせないためには、関係機関が一体となって多面的・戦略的に国民の行動変容に向けた施策に取り組む必要があると考えられる。また、こうした普及の取組みに加えて、今後は、専門家も関与したうえで、国民のスポーツや身体活動の実践を継続的に評価し、長期的なレガシーの検証を積極的に進め、世界に発信していく必要もある。
なお、本研究では障害のある人におけるスポーツ実施率への影響については検証できておらず、オリンピック・パラリンピック双方が与えたその他の影響とともに、今後の検証とレガシー実現に向けた取り組みが望まれる。
プレスリリース
東京2020オリンピック国民のスポーツ・運動実践に影響を与えず(2006-2020年調査分析)−レガシー実現に向けた戦略的な身体活動促進の取り組みが必要−(東京大学)
文献情報
原題のタイトルは、「Evaluation of pre-Games effects of the Tokyo 2020 Olympic Games on Japanese population-level physical activity: a time-series analysis」。〔Int J Behav Nutr Phys Act. 2022 Aug 6;19(1):96〕
原文はこちら(Springer Nature)