宇宙飛行士はエネルギー摂取量が不足している! 宇宙環境で風味が変わることが一因か
民間人が宇宙旅行を楽しめる時代が間近に迫っている。と言っても宇宙での滞在時間はわずか数分だそうで、窓の景色を眺めながらおやつを食べる時間もない。しかし、いつかはきっと「月旅行○泊○日、超格安○億円!」などのパック旅行が発売されることになるのではないだろうか。さらには「出発時期限定。月経由火星往復チケット○千億円」などが登場する可能性も否定はできない。
月には3日ほどで行けるようだが、火星となると、往復で年単位の月日が必要とのことだ。となると、宇宙船内での食事の栄養管理も重要になるだろう。だいぶ気の早い話ではあるが、宇宙環境での食生活は地球環境とはだいぶ異なるらしく、宇宙環境に詳しい管理栄養士の需要が高まるかもしれない。
決して荒唐無稽とは言えない。最近発表された論文によると、これまでの20年にわたる国際宇宙ステーション(International Space Station;ISS)での宇宙飛行士の摂取エネルギー量は、必要量の8割しか満たしていないという。地球にいるときと同等のエネルギー消費を保つように、宇宙船内で運動をしているのにもかかわらず、だ。さらに言えば、宇宙食は少量で高エネルギー量を確保できるように調整されているにもかかわらず、でもある。
国際宇宙ステーション(ISS)とは
ISSとは(JAXA-宇宙ステーション・きぼう広報・情報センター)本論文の著者らは、現在のISSへの滞在は最大1年程度であるため、十分に健康な宇宙飛行士であれば摂取エネルギー不足が直ちに悪影響が及ぶことはないだろうが、火星探索ともなると、大きな問題としてのしかかってくるとの懸念を表明している。
この研究では、宇宙飛行士の摂取エネルギー量が不足する理由は、宇宙では食品の風味が変わるからではないかとの仮説の下、極めて広範な角度から詳細な検討を行っている。
人類の宇宙開発と宇宙食の開発
人類が初めて宇宙へ飛び立ったのは1961年のユーリイガガーリンで、飛行時間は計108分。宇宙での食べ物はピューレ肉とチョコレートソースが入ったスクイーズチューブのみだったという。この食事は、エネルギー補給のためではなく、宇宙での食事がどのようなものかを調査するという研究目的で行われた。1998年にISSが完成し長期滞在が行われるようになると、単に食事をとることにとどまらず、宇宙飛行士の栄養摂取のための食事の研究開発が進められた。
ほとんどの宇宙飛行士が宇宙飛行中に体重が減少する。もちろん、宇宙船内の食事は厳密に管理されており、必要なエネルギー量、栄養素を完全に補給できる。
宇宙飛行士の体重減少の原因として考えられることは、無重力(微小重力)のために消化管活動が変調することのほかに、食品の風味が変わる可能性が考えられる。
これまでの報告から、宇宙での摂食量減少は珍しいことではなく、食物の風味、メニューが単調なこと、宇宙船内の環境が影響しているとみられる。また、宇宙船では使用後の水を浄化処理して再利用するが、そのためにわずかな臭気が発生し、食欲を低下させるのかもしれない。さらに、宇宙船内の空気が地球とは異なる影響もあるだろう。
本論文ではこのようなさまざまな視点で考察を加えており、いくつかのテーマごとに要約を掲げている。その要約部分からいくつかをピックアップして紹介したい。
摂取エネルギー不足を説明する潜在的な要因
- 宇宙飛行士のエネルギー不足は、不十分な食物摂取によるもの
- 食物の匂いや味の変化が食物摂取に影響を与える可能性がある
- 食品の味と風味の変化は、食品自体の化学的・物理的変化、または宇宙船環境によって引き起こされた変化が原因である可能性がある
食品の風味が摂取量に影響を及ぼすというエビデンス
- 公開されている情報のレビューからの結論は、食物の受容性が食物摂取量に重要であり、その受容性には、味、食べ物の提示方法、食事の場所(雰囲気)、社交性など、さまざまな要素が含まれる
- 同様の公開情報から、宇宙での食物摂取量の減少は珍しいものではなく、食物の風味、メニューの単調さ、食品の提示の仕方、宇宙船の雰囲気などの要因に関連している可能性が高い
宇宙食の準備と保存期間
- 宇宙食のビタミン、色調、風味、質感は、保存期間に応じて緩徐ながら変化し、保存期間を決定する
- これらの変化の抑制には添加物が必須であり、欠くことはできない
- この課題の克服のために、宇宙飛行中に食品を生産するというテクノロジーの開発と並行して、新しい食品加工技術が研究されている
- 長期的なミッションに耐えられる保存期間、栄養、風味の特性を備えた食品を提供するには、さらなる研究を要する
臭覚の生理
- 匂いの感受性と鼻腔の解剖学および生理学との関係については、既に十分な知見が蓄積されている
- 鼻腔内の気流のわずかな変化が匂いの知覚に大きな影響を与える可能性があることは明らか。一方で、宇宙飛行士の(微小重力であることで生じる)鼻づまりが、順応の最初の数日でのみ匂いの感受性に影響を与えるのか、それとも長期的な影響があるのかについては明確でない
- 宇宙飛行中の宇宙飛行士の匂い感度の変化を決定する実験からは、相反する結果が得られた。ただし、安静を伴う模擬微小重力実験では、変化が生じ得ることを示唆している
- 現在の測定機器による臭気閾値の計測を宇宙船内で行うには、重量制限、およびミッション参加可能人数という点で困難であり、簡便な臭覚測定サンプルを使った実験が最善と考えられる
ISSの水質と食物摂取に及ぼす潜在的な影響
- 米航空宇宙局(National Aeronautics and Space Administration;NASA)による分析では、ISSの再生水の化学組成は一定していることが示されている
- 再生水の味、臭い、風味に関する体系的な分析結果は見つからなかった
- 地球環境での文献からの考察では、苦味などの嫌悪感が食物摂取に影響を与える可能性があるというエビデンスが複数存在するが、低レベルの味や匂いが食物の風味にどのように影響するかに関する研究は初期段階であり、評価することはできない。再生水または食品自体に含まれる他の化合物と相互作用しない限り、食品の風味に影響を与える可能性は非常に低いと考えられる
- 現時点での理解では、ISSの再生水が食物の風味(つまり食物摂取量)に重大な変化を引き起こす可能性は低いが、匂いや味の影響が十分に研究されていないことは明らか。宇宙だけでなく、過食の制御が主な焦点である地球で生じている栄養問題の解決のためにも、さらなる研究が必要
宇宙での風味の知覚に対する大気質の影響
- 二酸化炭素レベルは酸味覚受容体等を介して風味に影響を与える可能性が高い
- ISSの揮発性有機化合物(Volatile Organic Compounds;VOC)は、アルデヒドを除いて人間の臭覚閾値を下回っている。閾値以下の影響を除外することはでないが、ISSの空気中に存在するVOCが嗅覚に影響を与えたり、宇宙飛行士の摂食行動に影響を与えたりする可能性は低いだろう
- ISSの湿度は、地球と同レベルに制御されているため、臭覚関連要因とは見なされない
- ISS全体で空気が循環しているが、恐らくVOCの濃度がすべての場所で同じということはない。ISS内の限られたスペースでは、臭気強度の高い領域と低い領域が存在する可能性がある
- これらの要因が宇宙飛行士の臭覚と食事の楽しみに影響を与えるかどうかを解明するには、ISSと関連するVOCの匂いをさらに研究する必要がある
食品の受容性に対する聴覚の影響
- 最近、ノイズ、音楽、サウンドスケープが味覚に及ぼす影響についての認識が高まっている
- 大きなバックグラウンドノイズは味覚や風味を抑制することが示されている。一方、特定の音楽またはサウンドスケープの使用によって、味覚、快楽感を向上可能
- この領域の研究の大半はこれまで地上で行われてきたが、宇宙旅行が現実的となりつつある今、宇宙での試飲へのこれらの影響は、さらに調査する価値があると思われる
文献情報
原題のタイトルは、「Factors affecting flavor perception in space: Does the spacecraft environment influence food intake by astronauts?」。〔Compr Rev Food Sci Food Saf. 2020 Nov;19(6):3439-3475〕
原文はこちら(John Wiley & Sons)