緊張するとパフォーマンスが低下する原因は聴覚にあった? ピアニストによる実験で明らかに
緊張のために、パフォーマンスを十分に発揮できないことは少なくない。日々のトレーニングを生かすことができず、納得のいかない結果に終わってしまうこともある。その原因の一端が明らかになった。関西学院大学などの研究グループの研究の成果であり、「Communications Biology」に論文が掲載されるとともに同大学のサイトにニュースリリースが掲載された。
ピアノの音が鳴るタイミングを人為的に遅らせることによる奏者への影響を調べた研究であり、ストレスによる聴覚と運動を統合する機能の異常が認められたという。ストレス下でもパフォーマンスを発揮するためのトレーニング法の開発に期待がかかる。
研究の背景と経緯:身に付けているはずのスキルを、なぜ発揮できないのか?
アスリートや音楽家、外科医など、さまざまな分野でエキスパートと呼ばれる熟練者の技能は、長年にわたる膨大な運動トレーニングを経て獲得される。しかし、オリンピックやコンクールといったプレッシャーのかかる場面において、心理緊張に伴い、普段は起こりえないミスを犯してしまうことは、多くのエキスパートにとって大きな問題。
従来、心理緊張に伴う技能の喪失の背景には、注意や記憶といった認知機能の異常や、自律神経機能の異常が関わっていることが報告されてきた。しかし、心理緊張に伴う感覚や運動の機能の異常や、それを回避するためのトレーニング方法については、明らかにされていなかった。
これに対して、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業において、(株)ソニーコンピュータサイエンス研究所や関西学院大学の研究グループは、ピアニストの心理緊張による巧緻性低下を予防するトレーニング法を発見した。
同研究グループは以前に、ピアノ演奏中のリズムのエラーを聴いた直後には、音楽訓練未経験者は演奏が乱される一方、ピアニストは頑健に演奏を遂行し続けられることを発見している。しかし、心理緊張に伴いこの技能に異常が生じて、熟練ピアニストが音楽訓練未経験者のような状態になる可能性も示されていた。ただし、その真偽は不明だった。
研究の内容:ピアノ演奏中に「外乱」によるストレス負荷をかけて検討
研究グループはまず、ピアノの発音のタイミングやピッチ、音量を任意に操作できる「可変聴覚フィードバックシステム」を用いて、ピアノ演奏中に発音のタイミングを人為的に遅らせる外乱を生み出し、それに対する手指の動きの反応を評価することによって、演奏時の指の運動が聴覚から得られる情報の影響をどの程度受けるかを調べた(図1)。
図1 可変聴覚フィードバックシステム
実験1:ストレス下では正確性が有意に低下することを確認
実験1では、ピアノ演奏中、人為的にリズムのエラーを生み出すことにより、聴覚から得られる情報をどのように利用して、手指の運動を巧みに制御しているかを明らかにすることを目的とした。
ショパン作曲の練習曲より抜粋した課題を規定のテンポで演奏中に、ピアニストが予想できない箇所で発音のタイミングを80ミリ秒(0.08秒)、人為的に遅らせ、その後の演奏がどの程度乱されるかを調べた。なお、この実験に際しては、被験者の心理緊張を高める状況を生み出すため、被験者の真横で別のピアニストが演奏を観察・評価し、さらに被験者の目の前にビデオカメラを置いて録画するという条件下で課題を演奏してもらった。
11名のピアニストを対象に実験を行った結果、心理緊張を伴う演奏時のみ、遅延聴覚フィードバックの提示による打鍵タイミングの正確性の有意な低下が見られた(図2)。これは、心理緊張を伴わない場面での音楽訓練未経験者と同様の反応であり、心理緊張に伴い、聴覚へのリズムのエラー情報に対して過度に身体動作が反応してしまう異常が生じることが示唆された。
一方、二音を連続して提示し、その音間の時間間隔を識別する聴覚機能や、各指を最速で動かす際の運動の速度や正確性といった運動機能は、心理緊張に伴う変化がみられなかった。
図2 一時的な遅延聴覚フィードバックの直後の打鍵タイミングのエラー
実験2:トレーニング法次第でストレスの影響を除去可能
次に、実験2ではピアニスト30名を対象に、心理緊張下での演奏を行う前に、可変聴覚フィードバックシステムを用いたトレーニングを数十分間行うことにより、その後の心理緊張下での演奏にどのような影響が現れるかを調べた。
トレーニング群として、ピアノ演奏中の発音タイミングの遅延を無視して練習するグループ(遅延無視群)と、発音の人為的な遅延を打ち消すように通常より早いタイミングで打鍵する練習を行うグループ(遅延適応群)に、各10名ずつのピアニストを振り分け。これとは別に、トレーニングを行わないグルーに10名をあてた。
それぞれの条件でのトレーニング後に、心理緊張下での遅延聴覚フィードバックの提示による演奏の乱れ(打鍵タイミングのエラー)を調べた結果、遅延無視群のピアニストのみは、演奏の乱れがみられなかった。
この結果は、ピアニストが心理緊張下でも、聴覚からのリズムのエラー情報に対して過剰に手指動作が反応しないよう、聴覚と運動を統合する機能がトレーニングによって正常化したことを示唆している(図3)。遅延無視群は、演奏中の異常な聴覚刺激に反応し過ぎないトレーニングを積んだため、心理緊張下で耳が捉えたミスに過敏に反応し過ぎる心身の働きが正常化したことが一因と考えられる。
図3 トレーニングが心理緊張下における演奏の頑健性に及ぼす影響
今後の展開:イップスのメカニズム解明にもつながる
以上より、心理緊張に伴う演奏技能の低下の背景には、聴覚情報を用いて適切に運動を制御するというエキスパート特有の技能が失調し、あたかも初心者のような状態になってしまうことと、このような技能失調は事前の聴覚運動トレーニングによって防げる可能性があることが明らかになった。今回の研究によって、聴覚から得られた情報を適切に身体動作の制御に利活用できないことが、プレッシャーのかかる状態でのパフォーマンスの低下に関連することや、事前の短期的なトレーニングによってこういった問題を回避できる可能性が示された。
研究グループでは、「この発見は、心理緊張下で最適なパフォーマンスを発揮するための新しいトレーニング理論やトレーニングシステムの開発や、アガリやイップス(緊張や不安などに伴い、それまでスムーズにできていた動作が思い通りにできなくなる症状)といった問題の背後にある脳と身体と心のメカニズムの解明などに役立つと期待される」と述べている。
プレスリリース
緊張するとパフォーマンスが低下するのはなぜ?~聴覚と運動を統合する機能の異常を発見~(関西学院大学)
文献情報
原題のタイトルは、「Back to feedback: aberrant sensorimotor control in music performance under pressure」。〔Commun Biol. 2021 Dec 16;4(1):1367〕
原文はこちら(Springer Nature)