ジョギングの効果の一部は脳への"衝撃"によってもたらされる 運動療法の斬新な知見
ジョギングやウォーキングなどの適度な運動は、生活習慣病の予防・改善はもとより、近年では認知症やうつ病リスク低下の面からも注目されている。しかし糖尿病等の代謝性疾患に対し有酸素運動が抑止的に働くことは直感的な理解がしやすいが、精神疾患に関しなぜ保護的な作用を発揮するのか、そのメカニズムはよくわかっていない。
そんな中、ジョギングやウォーキングは代謝改善とは全く別の、足で地面をステップすることによって生じる脳への衝撃を介して、精神疾患の予防効果をもたらす可能性があるという新たな知見が発表された。国立障害者リハビリテーションセンター病院と東京大学などの共同研究グループが行った動物実験から明らかになり、米国の科学雑誌「iScience」に論文が掲載されるとともに、同病院のサイトにニュースリリースが掲載された。
研究の背景
超高齢社会を迎えた日本のみならず、先進諸国においては健康寿命の延伸が喫緊の課題となっている。ほとんどの加齢性疾患や生活習慣病に対し「適度な運動」が有効であることは統計的に証明されている。しかし、「適度な運動」の"適度"とは、しっかり定義されているとは言い難い。さらには、運動がどのように身体に影響を与えるのか、明らかになっていないことも多い。
例えば有酸素運動が有効と言われるが、本当に「有酸素」であることが重要なのかは証明されていない。可能性としては、運動中の動作、例えば、飛ぶ、跳ねるなどの上下動が重要であることも否定はできない。
また、筋骨格系運動器障害により運動をしたくても運動できない人では、運動による健康維持効果を得ることができず、さらなる身体機能低下につながりやすい。加齢に伴う身体不活動や、肢体障害による身体運動の不足が、筋萎縮、代謝異常、心血管障害などの二次障害が起こるにもかかわらず、有効で副作用の少ない治療法が確立されていない。
実験の流れ
研究チームは、運動による脳機能調節という効果の少なくとも一部が、足の着地時に頭部に加わる力(衝撃)によるものである可能性を考察。その衝撃で生じる脳内の組織液の流動による神経細胞の機能変化を検証するため、以下の検討を行った(図1)。
マウスに「適度な運動」をさせる
まず、20匹のマウスを2群に分け、1群には1日に30分間、20m/分の速度で運動させ、もう1群は運動をさせない対照群とした。運動をさせるマウスに頭部に加速度計をつけ、前足の着地時に頭部にかかる衝撃を計測したところ、約1Gの力が検出された。この1Gという力は、ヒトにとって「適度な運動」とされる軽いジョギング(7km/時)を行った時に足の着地時にかかる力と同程度であり、マウスにとっての20m/分という速度は、マウスの「適度な運動強度」に相当するという。
セロトニン投与による幻覚が運動により抑制される
7日間経過後、マウスの大脳の前頭前皮質に、神経伝達物質のセロトニンを高用量投与して幻覚を引き起こすという実験を行った。マウスに幻覚が起きた時に現れる、首を振るという動作の回数で、幻覚の程度を評価。すると、運動をさせていたマウスの首を振る回数は、運動をさせていなかったマウスに比べて有意に少なかった(P=0.027)。
運動をさせず頭部への衝撃だけでも同様の効果を確認
次に、運動させないマウスに麻酔をかけて、頭部へ上下方向の力を機械的に与えるという実験を行った。頭部へ与える力は、前述の運動をさせたマウスの条件にそろえ、1Gの力を1秒間に2回、1日に30分、7日間とした。
そしてやはり前述の実験同様にセロトニンを投与したところ、頭部へ衝撃を与えていなかった対照群よりも有意に首振り回数が少なかった(P=0.035)。よって頭部へ物理的な衝撃をかけたことが、運動をしたのと同じような効果を脳にもたらした可能性が考えられる。
運動をさせたマウスと頭部に衝撃だけ与えたマウスで、脳内の変化を比較
運動をさせていたマウスの脳を解剖したところ、前頭前皮質の神経細胞でセロトニン2A受容体が、細胞の表面から細胞内へと移動する「内在化」という現象が起き、セロトニンに対する応答性が低下していることがわかった。
続いて、頭部に1Gの力を与えたラットの脳の様子をMRIで確認すると、脳内の間質液が1μm/秒で流動していることが確認された。そこで培養細胞を用いた実験で、その状態を再現。すると運動をさせたマウスで見られた現象と同じように、セロトニン2A受容体の内在化が起こった。
図1 頭部に1Gの衝撃を与えるジョギング程度の運動と受動的頭部上下動は、脳内間質液を流動させ、大脳皮質の神経細胞に物理的刺激を与え、セロトニン2A受容体を内在化させ、幻覚反応を抑制する
脳内に衝撃が伝わらない状況では効果が発揮されない
ここまでの検討結果から、脳に適度な衝撃が加わることが運動の効果発現に関与していることが示唆される。その確認のため最後に、マウスの前頭前皮質にハイドロゲルを注入して、脳内間質液の流れを止めるという実験を行った。なお、ハイドロゲルを注入しても栄養供給などは保たれるため、細胞死は促進されない。
この実験では、頭部に1Gの力を1日30分、7日間与えたマウスでもセロトニン投与後の首振り運動が抑制されず、またセロトニンA2受容体の内在化も起きなかった。
運動療法の新たな展開の幕開けか?
間質液は全身の組織・臓器に存在し、前頭前皮質の神経細胞のみならず脳内のすべての細胞は間質液に接している。今回、マウスやラットで頭部への衝撃による幻覚反応に対する抑制効果を検討した結果から、「運動→頭部に適度な衝撃→脳内間質液流動→脳内の細胞に力学的刺激→脳内の細胞の機能調節」という分子レベルの仕組みが、運動による脳機能調節に広く関与していることが考えられる(図2)。
図2 軽いジョギング程度の運動は、足の着地時に頭部に1Gの衝撃を与え、脳内に局所的圧変化が生じ、脳内間質液が中同士、脳内の細胞に流体せん断力という物理的刺激を加える
研究グループでは、「今回の研究は、間質液の動きを促進することが脳機能維持法としての運動の本質の少なくとも一部であり、『運動とは何か?』という問いへの答えにつながるとともに、運動をしたくてもできない障害を持つ人にも適用可能な擬似運動治療法の開発につながる可能性が示せた」と述べている。
プレスリリース
文献情報
原題のタイトルは、「Mechanical Regulation Underlies Effects of Exercise on Serotonin-Induced Signaling in the Prefrontal Cortex Neurons」。〔iScience, 23 (2), 100874〕