運動中の熱曝露等による「運動誘発性胃腸症候群」の予防・管理戦略 ~東京オリンピックに備えて
体温調節研究者や温度関連の科学者が集う生理学雑誌「Temperature(体温)」誌で組まれた「Anticipating the Tokyo Olympic Games(東京オリンピックを予期する)」という特集で、労作性熱ストレスに関連した胃腸障害「運動誘発性胃腸症候群(exercise induced gastrointestinal syndrome;EIGS)」の管理戦略を述べた論文が掲載された。
「運動誘発性胃腸症候群」(EIGS)という用語は、運動に関連する、または運動に関連して生じる可能性のある消化器症状で、パフォーマンスの低下につながる。その原因は多因子性ではあるが、主に内臓の低灌流と交感神経活性の増加に起因する。近年では運動中の熱曝露「労作性熱ストレス」の影響を示した報告が増えている。労作性熱ストレスは環境温度の上昇に伴い、消化管運動を大幅に悪化させる可能性があり、この点は東京オリンピックで競技するアスリートにとって大きな関心事だ。
アテネ、リオ五輪での事例
東京オリンピックでは環境温度が30℃を超え、湿度も高いと予測されている。このような気候条件では胃腸の症状(gastrointestinal symptoms;GIS)の発生率および重症度が上昇することが報告されている。とくに、マラソン※、50km競歩、トライアスロン、サイクリングロードレースなどの持久力競技でその影響が顕著となる。
※本論文は東京2020のマラソン会場が札幌に変更されることの決定前にアクセプトされている。
気温35℃、湿度31%という環境で行われた2004年のアテネオリンピック女子マラソンでは、世界記録保持者のポーラ・ラドクリフ(英)が棄権。レース後に、彼女は腹部痙攣、腹部膨満、排便衝動があったこと、および前日の非ステロイド消炎鎮痛薬(non-steroidal anti-inflammatory drug;NSAID)の使用を報告している。また気温25~28℃、湿度76%で行われた2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、男子競歩の世界記録保持者であるヨアン・ディニズ(仏)が前半はレースをリードしたものの、レース途中の腹痛・排便により不本意な成績となった。
運動強度や競技持続時間、環境条件、およびNSAID(アスピリンやイブプロフェンなど)の使用などの外因性因子が、労作性熱ストレスによる胃腸症状に大きな影響を及ぼすと考えられる。
胃腸障害と消化管粘膜透過性
臓器の低灌流とくに胃腸の虚血が腸の傷害や透過性亢進の重要な促進因子であること、明確に証明されている。
労作性熱ストレス等による腸の傷害の程度は、一般的に腸管由来脂肪酸結合蛋白(intestinal fatty acid-binding protein;I-FABP)により評価される。そして環境温度が35℃以上で2時間にわたりトレッドミル走行を水分補給のみで行うと、I-FABPが顕著に上昇することが実験的に確認されている。具体的には22℃の環境でI-FABPが2時間の運動でベースライン比127%であるのに対し、30℃では184%、35℃では427%になるというデータが報告されている。なお、労作性熱ストレスの影響は、運動持続時間との関係もみられるようだ。
運動に伴う消化管粘膜透過性の亢進は、内臓の低灌流、ランニングなどのスポーツ中の長期の機械的刺激、酸化ストレス等によると考えられている。透過性の亢進の程度は一般的に、摂取された難消化性糖類(小腸の評価にはラクツロースとラムノース、大腸にはスクラロースとエリスリトール、胃にはスクロースなど)の尿中排泄によって評価される。運動負荷によって透過性が亢進することに関しては一貫したエビデンスが存在する。
予防戦略
水分補給
脱水は、とくに高温環境での運動でよくみられる。脱水は環境温度とは独立して胃腸機能に悪影響を及ぼし、GISの発生率と重症度を高める可能性がある。一方で水分の過剰摂取も運動関連低ナトリウム血症(exercise associated hyponatremia;EAH)を介してGISに関連する。
これに対し、運動前・中に水分に加えナトリウムを摂取するという戦略が一般的にとられており、GISの発生と重症度軽減に有用と考えられる。
運動中の摂食
運動中の栄養素の計画的な摂取は、運動に関連する臓器低灌流を抑制すると考えられる。実際に、中等強度の15分間のトレッドミル走行中に液体試験食を摂取すると内臓の血流が増加するといった報告や、70%VO2maxの1時間のサイクリング運動中に水のみの摂取に比較し運動前および20分ごとの摂食により門脈血流が維持されるとの報告がある。
冷却戦略
氷スラリー摂取等による内部冷却、冷水シャワー等による外部冷却によって、消化管内温度が低下することが報告されている。それによる長時間運動中のGIS発生や重症度を抑制し得ると考えられるが、それを証明した強固なエビデンスはなく、効果が認められるような適切な冷却戦略の研究が必要とされる。
FODMAPのアレンジ
運動関連のGISを防ぐために、運動前や運動中の食物繊維、脂肪、蛋白質の摂取制限が推奨されるようになった。さらに、セリアック病ではないにもかかわらずGIS予防効果に期待しグルテンフリーの食事療法を行っているアスリートも存在する。ただし、そのような食事は、実験モデルではGISに対するメリットは認められなかった。
一方で興味深いことに、910人のアスリートを対象とするコホート研究では、運動関連GISを防ぐ目的で、オリゴ糖やポリオールなどの「FODMAP(fermentable:発酵性、oligosaccharides:オリゴ糖、disaccharides:二糖類、monosaccharides:単糖類、polyols:ポリオール)」を多く含む食品を意識せずとも回避している率が50%を超えており、自己認識による症状の改善は80%に及んだ。FODMAPは過敏性腸症候群のトリガーの1つであり、摂取されたFODMAPの吸収不良はバクテリアの発酵と炭水化物の浸透特性により、腸管腔内容物を増加させる可能性がある。
アスリートはエネルギー要件を満たすことに伴い、FODMAP摂取量も多いと考えられる。1日あたり約25gの平均的な摂取量に対して、マルチスポーツ選手では80g/日のFODMAPを摂取しているとするデータもある。FODMAPの摂取方法の検討は、アスリートの運動GISを減らす可能性がある。
まとめと実用的な推奨事項
本論文では上記以外に、プロバイオティクスやグルタミン、ウシ初乳、クルクミンなどの予防効果について検討を加え、いずれも現時点ではさらなる研究が必要な段階と位置付けている。その上で著書らは以下の結論をまとめている。
東京オリンピックで予想される高温多湿の環境条件を考慮するとEIGSの発生率が高くなる可能性がある。労作性熱ストレスはEIGSの主要な原因であり、二次転帰に直接影響することは明らかだ。したがって、このような極端な環境でパフォーマンスを最適化しようとするアスリートにとり、予防と管理戦略はひときわ重要となる。
最近のエビデンスは、予防・管理戦略によってGISを改善できることを示している。しかしながらその介入は個々の耐性により特異的であるため、各アスリートの消化管機能の評価が必須でありファーストラインのアクションとして推奨される。そのアセスメント後は増悪因子の管理、冷えた液体を使用した水分補給、運動中の頻繁な(たとえば20分ごと)炭水化物の摂取、短期間のFODMAP制限等が考慮される。
文献情報
原題のタイトルは、「Exertional-heat stress-associated gastrointestinal perturbations during Olympic sports: Management strategies for athletes preparing and competing in the 2020 Tokyo Olympic Games」。〔Temperature (Austin). 2019 May 7;7(1):58-88〕
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